今から 12年くらい前になるけれど、父が亡くなる年は 不思議な事があった💦
覚えている事を 並べておくと、、
母が 毎年漬けている 梅干しが その年にだけ 黴が生えてしまった😰
(梅干しに 黴が生えると 人が亡くなる、、という話があるらしく 母は 気味悪がって 縁起でも無い、、と 梅干しを捨て そして きっと干すのが甘かったんだ!
と 気にしないようにしたらしいけど、、😰
でも、何でだろう、、と 不安に思っていた。
その後 長年 お腹が張る、、と 言っていた 父に胃がんが見つかり 余命3ヶ月と言われ 入院できなく自宅で診ることになる。
段々と 弱っていく父だったが 気骨のある人で
最後まで きちんとしていた。
亡くなる 三週間前に 最後の誕生日を迎える事になる。
母が赤飯を作り 私はケーキを🍰買い リビングで 父を祝う、、父は 蝋燭🕯を消すのがやっと、、😂
それでも ベットからは 午前中は起きて きちんとリビングに座るようにしていた😂
自分に甘え無いのだ、、俺はこんなだらしのない男になっちゃったのか、、💦と 言いながら 自分を叱っていた💦
もう、だら〜んと、したら良いじゃ無い、、楽だよ!
と 言うと
人間は 昼は起きてるものなんだよ、、と 言っていた。
その父から見たら 私は いつも、寝転がり だらしのない娘だったのだろうな、、。
亡くなる寸前まで あの威厳のある姿を見せた父親は やはり普通の人よりも 何倍も努力して身を立てたのだ、、と 悟った🤭
子供の頃から この家は 俺がなんとかしないと、、と 思っていたらしい、、それは おじいちゃんに言われた 貧乏が恥ずかしいなら 自分で家を建ててみろ!
の 一言だったようだ。
絵が好きで 絵描きになりたかった、、と言っていたけど 女兄弟の中の末っ子として生まれた父は 働いて働いて 身を立てたのだ、、。
近所でも 一目置かれていたし、私は 小さな頃からピアノ🎹など 好きな物を習わせてもらえた。
家も何件か 貸していて、、裕福な方だと思った。
(その頃が 実家の 一番良い時だったのかもしれない)
父が亡くなったのは 明け方で 母だけが看取ってくれた😂
私は 家で寝ていたので 電話で起こされた。
その日 父の部屋の時計🕰が 止まった💦
そして 翌日だと思うが リビングの時計が止まった💦
あぁ この家を動かしていた人が 亡くなったのだ! と 思った😰
父が 大事にしていた時計は 私が形見分けで頂いた。
私は 自分で言うのもなんだが 馬鹿で考えが浅く 子供のの様な性格なのだ!
なぜ 思慮深く 賢く なれなかったのだろう、、と 自分を責めてみたのだが 戻れないのだ!
未だに 利口になれないのだ!
だから もっと 汲み取ってあげられた気持ちがたくさんあったのではないだろうか!
もっと 伝えたい事があったのではないだろうか!
でも、、感じ取れない 私なのだ、、ごめんなさい🙏
そして 育ててくれてありがとうございます。
元々 利口でない私は 学校の成績はも良くなく
勤めも続かず 偉くもならなかったのだけど、良い相手と 結婚をして 子供2人に恵まれ その子たちの成長するの姿を見せられた事が 唯一の親孝行だったと思います。
今 何かダメになりそうな時に 私の父母はこんな考え方をした人はだったのだ!
と 思い返して やってます🙂