小さな時 自転車🚲の前に乗って 父と一緒に出かけた思い出がある、、前かごだから3歳くらいかな?
その時に 坂道を下りる時 怖くて 何度も自転車を🚲降りて 歩いて、、お母さんは 降りてくれると 頼んだけど、 父は 大丈夫だ! 怖くなんかない と 取り合ってくれず 凄く怖くて 喚いて 叱られた記憶がある😭
私にとっては 怖くも優しい所のある父だが 親戚や近所の人は あの○○(父の苗字であり 私の旧姓)さんが 子供を可愛がってる、、と 驚いたそうだ。
それだけ 気難しい男だったのだ!
小さな頃の記憶では 物心ついた時 いつも母の自転車🚲の後ろに乗っていた。
そこで 足を自転車に巻き込まれて 随分痛い思いをした事もある 気をつけろ、、と 言われても つい 足を中に置いてしまうのだ!😭
働きに行く途中のパン屋さんで コッペパンに白いクリームが入っているのを買ってもらって 中に赤いゼリーが一つだけ入ってるのが 甘くて 綺麗で 最後まで取っておいて、食べたのだ✨
今 思い返せば 母もお腹空いてたんだろうな、、私だけにパン🥖を買ってくれたけど、、。
母は 働いてばかりだった。
私は 自転車🚲の後ろで 働き先まで行き (お手伝いさん)その家の人に遊んでもらったり お菓子をもらったりした✨
子供の私には分からなかったけど 母は 家によっては 私には古いお菓子を与えて その家の子供には新しいものだったらしい、、💦
幼稚園の思い出は とても楽しくて 先生もみんな優しかった😊
でも、ご近所では 借家など財産があるのに 働いてばかりの母に 平気でご近所に子供を預ける母に 顰蹙だったようだ💦
(後から知ったが 母は 父に充分な生活費をもらってなかったそうなのだ、、
いや 母は 保険の勧誘などを断る事が出来なくて かなりの金額を 払っていたのだ💦)
今思うと 途中で 解約したお金など、ちゃんと受け取ったのだろうか?
その頃の保険屋さんの感じだと 無知ゆえに 上手く搾取されてしまったような気がする😣
小学校に入ると 担任の先生は厳しく 依怙贔屓をする人で 私は余り好かれていなかったと思う、、。
預けられていたからか、、元来の性格か 疑ぐり深く 人をみると 本当に良い人か 上部だけの良い人なのか、、いつも考えていた。
子供の前だと 良い顔をしない 本性を垣間見せる大人たち、、。
そんな事にばかりこだわり過ぎ 物事を大きく見なかったし、叱られるとその人が嫌いになった😢
私は 外で大人しくしていて、家ではわがまま放題で わがままを聞いてもらう事が愛情の確認のように 親に難癖を付けていたたちの悪い女でした。
あんなに疑ぐり深いのに チヤホヤされる言葉には弱く😣人の本質を見抜けなく 頭の悪い女のまま 社会人になります。
なんでも人のせいにして 結果が良いと有頂天になり 、、そのまま 心が子供のまま親になり 今に至ります🥵
でもね、、気難しい父が 真の愛情かけてくれた事や 母の働く姿と 私の無理難題を それでも受け入れてくれた懐の深さと優しさを思うと
馬鹿なりに しっかり生きないとなぁ〜
人には 優しくしないとなぁ〜
寂しい気持ちの人には 何か出来ることを出来たらなぁ〜 と 思うのです。
まとまらないけど、、あのパン屋さんで パンを食べる私を見る母の気持ちが 今の私にはわかります。
〇子や おいしいか、、と 思ってたんだろうな、、✨
そんな思い出のある自分は やはり幸せで✨
真っ直ぐに 生きていこう、、って思います。
お馬鹿だけとね、、😊